好きなことをして生きていくにはどうしたらいいか。
そのために差し出せるものはなんだろうか。
何かを得るためには代わりに何かを差し出さなければいけない。
例えばそれが他人からの承認であったりなんとなく生きることだったり時には友人も失ってしまうかもしれない。
そのためにも自分には何が大切で何が大切じゃないか理解している必要がある。
何を大切に思うかは人それぞれであなたの中にしかあなたの正解はない。
あなたの心の奥の奥を自分自身でみることは難しい作業だ。
時には人の力を借りてもいい。書籍の力を借りるのもいいだろう。
自己分析をするときに心の迷いとしてあったのが、自分はこうだと思っていることが、人から見たときにこう見られたいという欲求にあらがえないような気がして、本当の自分は違うけど、自己分析のための質問にはこう答えるというような本音と欲求が混ざり合ういびつな自己分析になってしまうのではないかというおそれがあった。
でも人からどう見られたいかというものも自分のありたい姿で近づいていきたい理想なのであれば自己分析としてはそう遠くない。
自分の本音がなにかわからなくなっている人は世の中に多いと思う。
毎日を過ごしていく中で自分の本音と向き合う時間が少なくなっている。
ぼーっと何もせず過ごす時間が少なくなっている。
そんな時に何も考えていなくても頭の中の情報が整理されていたりもする。
今の世の中には情報が溢れすぎている。
溢れる情報の渦の中に我々はいてなかなかそこにあらがうことはできない。
意識的に外部の情報から遮断する時間を作る必要がある。
あなたが思うような人生を歩めていなくてもやもやして行動できないのだとしたら、外部に情報を求めるのではなく一度立ち止まって自分自身と対話を進めるべきだ。
あなたなりの指針がみつからなければ、どんな情報があっても活用できない。
あなたが進むべき道が見つかったとき、はじめて移動手段を探すのである。
やりたいことがみつからないということもあるだろう。
でもその実はやりたいことが見つからないことで、今のままの生活を維持したい、変わりたくないという目的があるのである。
そんなことない、変わりたい。と反論があるかもしれない。
でもその変わりたいと自分探しをしているままのほうが、自分にとって都合のいい状態なのかもしれない。
自分が変わることで傷つくかもしれない。周りの人から嫌われるかもしれない。
未知の世界に一歩踏み出すことを恐れているのかもしれない。
変化したいと願うだけの状態は現状維持で表面上傷つかない。やすりで心がすり減っていくのに気が付かない。
無意識にそんなことを天秤にかけ変わらないことを選択しているのだ。
人は今すぐ、この瞬間から変わることができる。
必要なのは決断するだけ。