感受性豊かに生きたい


好きな季節は汗をかかない季節。

暑いところでいると機嫌が悪くなる。

どんなときでも汗をかきたくないというわけではなくて、汗をかいたら服にしみて恥ずかしいとかすぐにお風呂に入って綺麗になれる状態でないときに汗をかきたくない。

自分は汗っかきだと思っているから、ほかの人があまり汗をかかない気温でも汗をかいてしまう。

それが恥ずかしい。

スポーツやサウナみたいな汗をかいてもいい場面だと気にせず汗をかく。

日に焼けるのも好きじゃない。

黒くなるのが嫌というわけではなくて痛くなったり境目ができたりするのが嫌だ。

全身くまなく色が変わるのならかまわないし、痛くもかゆくもならないなら別にいい。

大勢での食事やコミュニケーションの場も嫌いだ。

どう立ち振る舞っていいかわからない。

ずっとひとりでいるだけの強靭なメンタルもない。

4人くらいまでがちょうどいい。

5人だと自分以外がペアを作って話が盛り上がるかもしれない。

コミュニケーションを続ける手法なんかも探せばいくらでもあると思うが興味のない他人の話を聞き続けられるほど器用ではない。

でも興味のあることならいくらでも聞ける。

それはだれでもそうか。

自分のことは根暗だと思っているが学生時代は目立つことも少なからずあった。

年齢を重ねるにつれ周りの意見を聞くようになり角が取れ小さく丸くなっていった。

子どものころはもっと生意気で調子乗りで毎日友達と遊んでいた。

今では怒られるだろうが廃工場で遊んでいたし、大きな砂山を削って基地なんかも作っていた。

毎日を楽しんでいた。

嫌なことから逃げ、真剣に生きることを辞め、ただなんとなく生きてきた結果が今だ。

あのときこうだったらとか、こうしておけばとか考えないわけではない。

10年前の自分は10年後に人生に思い悩んでいるなんて考えてもみなかった。

10年後の自分は今の自分になんて思うだろうか。

ここで真剣に生きたから今の自分があると思うだろうか。

それとも10年先をみて行動しているだろうか。

過去の自分を嘆いても仕方ない。

未来の自分に期待しても仕方ない。

コントロールできるのは今この瞬間の自分だけだから。

私があこがれる私はどんな存在だろうか。

相反する存在にあこがれを抱くこともある。

感情が揺れ動かない凪のような冷静な存在にあこがれるし、喜びにせよ怒りにせよ感情を爆発させる存在にもあこがれる。

感受性が豊かな人にもあこがれる。

物語を読んで泣きたいし、花の香りに記憶を呼び起こされたい。

季節や景色、歴史や芸術に心動かされたい。

どんなときでも機嫌よく生きたい。

私のそばにいたいという人と出会いたい。

私がそばにいたいと思う人と一緒にいたい。

死ぬそのときまで真剣に生きたい。

人が望む道をみつけ、その道を進む勇気をあたえたい。目的地にたどり着く手助けをしたい。

好きなものに囲まれて生きていきたい。

好きな人に囲まれて生きていきたい。

好きに時間を使いたい。


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