読まれる文章を書くのか。書きたい文章を書くのか。
こんな二択を迫られたらどっちを選ぶのだろうか。
そもそもどんな文章が読まれるのかわからない。
どんな文章を書きたいのかわからない。
選択肢がいくつかあるなかで唯一無二の正解なんてきっとないのだろう。
こういう考え方もあるよねって別の側面も見てしまう。
だけどそれって当たり障りのない答えで全然面白くない。
この世の中白か黒かではなくて濃淡あるグレーがただただ存在しているだけなんだと思う。
だからこそこのグレーは私にとって黒なのか白なのかはっきりさせるほうが、読んでいる人もそれに賛成するのか反対するのか考えられて面白い。
ここで最初の二択に戻ります。
私は書きたい文章を選びます。
なぜならば私が文章を書く理由は、文章を書くことがほかならぬ私自身のためであり私という人物を表現する方法だからです。
ここに誰かのためにとか多くの人に読まれたいとかそんな気持ちは一切ないです。
もちろん、副次的には誰かの役にたてばいいなとか多くの人に読んでもらえたらうれしいなとかそんな気持ちはあります。
ただ、どちらを優先させるかを考えたときに、自分のためということが絶対的にあります。
誰かのために自分が傷ついてもいいなんてそんなことは考えません。
自らを一番大切に思っていい。
過去を振り返ってみると自分が我慢したらいいとかほかの人のためにと考えていたこともありますが、それは結局自分のためだったなあと思います。
巡り巡って自分のために。ということであれば最初から自分のために生きていいんだと考えなおしました。
自分を大切にする以上に他人のことを大切にする人も世の中にはいます。
でもそれは私じゃなくていい。そう思うのです。
喜びも悲しみも怒りも楽しみも不安も心配も愛もすべて感じ切ろうと決めました。
宇宙とか潜在意識とかスピリチュアルとか引き寄せとかいろんな情報が世の中に溢れています。
結果だけをみていいなとかそうなりたいなとか感じるけど、結局何も状況は変わらない。
実践する勇気もないし、すべてを受け入れられるほどの素直さもわたしにはない。
だからひとつだけ。自分の人生を楽しもうとそれだけ決めました。
どれだけつらくても、そういうゲームをプレイしているような感覚で楽しもうと。
本気で悲しんで、本気で喜ぼう。
それだけ決めました。
あとは自分が成長するためにどうしたらいいか考えよう。
自分の人生を真剣に生きようとそう決めました。
どんな人生だろうと真剣に楽しもうとそれだけ。