昨日はAIにコーチングについて適当に書いてもらったけど、ふと今なにかと話題になっているAIについて考えてみた。
AIに動画を作成してもらったり、音楽を作ってもらったり、画像をつくってもらったり、文章を書いてもらったりいろんなことができるような世界になった。
AIを活用して、世の中の役に立つようなコンテンツを作れるとそれは幸せなことだなと思う。
でもそれが他者への貢献ではなく自分のお金のためだったならどうだろう。
私は今、お金を目的とせず、現在の自分の表現のために一つの手段としてこのブログを書いている。
お世辞にもうまい文章ではないが、ここからどう成長していくのか。その過程を包み隠さず見せることに意味があると思っている。
だが、このブログが、お金のためにAIに書かせているとするとどうだろうか。お金が稼げれば続くかもしれない。でもお金が稼げないと続かないし、文章もうまくなっていかない。
そこに自分の成長もないし、成長もなければお金も稼げないだろう。
ここにAIの罠があるのではないだろうか。
簡単な作業で一定の成果物がAIによってもたらされるが、それは誰でもできることだし、誰でもできることであればだれの役にも立てないのではないだろうか。
粗悪なコンテンツであっても誰かの役に立てればいいと私は思っている。
逆にきれいなものでも誰の役にも立たないのなら、意味のないものになってしまう。(意味のないものなんてないということはここでは無視します)
私がAIを活用して副業するためにはどう人の役に立つのかを考えながら作業する必要がある。
自分のコンテンツの先にいる人のことを考えながら行動していきたい。
きっと、「楽だから」という理由でうまくいく仕事なんてない。
でも「楽で」かつ「誰かの役に立つ」ことであればうまくいく可能性がある。
誰かを不幸にしてお金を稼ぐこともきっとできるんだろうけど、それで自分が幸せになることはおそらくない。
新しい技術できっと人を活かせも殺せもするだろうけど、私は人を活かして生きていきたい。
自分だけの成功なんてむなしいだけだ。
この文章を読んでいる未来の自分に聞きたい。
いま、あなたは幸せですか。
いま、私はもがいています。
これまでどのように生きていくか考えず、ふらふらと成り行きで生きてきました。
あなたは変わろうとした私の延長ですか。それとも変われなかった私のままですか。
周りの人は幸せですか。
この文章を読んで、また感想を聞かせてください。
あなたの心のうちを聞かせてください。
今日よりも明日がより素晴らしい日でありますように。