コミュ障


今日は自分のコミュ障っぷりにあきれたエピソードをひとつ。

私・・・田中(仮名)

現場へ向かう車内にて

上司「田中って出身どこ?」

私「○○です。」

上司「ああそう。○○って中心だね」

私「(愛想笑い。)」

そしてはかなくも会話は終わる。

特に何も話さなくてもよいなら自分のことを話したくない。

そして相手のこともよくわからないから聞きたいとも思っていない。

一番の問題点は、相手にとことん興味がないのがいけないのだなと。

それをおそらく相手にも感じられているのでしょう。

会話を続けるには。というようなこともいくつか学んでみたことはあるが、とどのつまり相手に対して興味がないことにはなにも始まらない。

自分の中で、相手に踏み込んでほしくないラインがあるから、逆もしかりと考えて相手の懐に入るのはとことん苦手だと思う。

パーソナルスペースもおそらく普通の人より広いし、自分のことを聞かれるのが嫌いだから、自分も相手のことをあまり聞かないようにしている。

相手のプライベートにどこまで踏み込んでいいのか。

どうして自分のことをそんなに知られたくないのか。

ひとつは、常識を知らないからである。

地理も苦手で、知らないことの話はなかなかできない。

何も知らないと思われるのが怖い。

本当の自分を知られて幻滅されるのがつらい。

自分の底の浅さを知られるのがこわい。

じゃあ、実際、本当の自分を知られるとどうなるだろう。

嫌われるのだろうか。

ここはアドラー心理学の課題の分離だろうか。

私らしくふるまうかどうかは私の問題。

私らしくふるまった結果、どう思うかは相手の問題。

相手の問題にはコントロールできないから踏み込むべきではない。

これまでも、そしてこれからも私は私のしたいように生きていく。

こんなつもりじゃなかったという人生なのか、後悔はなにもないと思う人生を歩むのか、すべては自分が決めたこと。

過去の意味付けをするのも自分。

今までの自分と今の自分は一続きではない。

今の自分には、過去は全く関係ない。

今から全く新しい私を生きていける。

そんな勇気を持ちながら、歩くような速さで私なりに生きていく。

変化を楽しむ自分でいよう。

お互いに高めあえるパートナーがほしいと感じた今日でした。


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