許し


現実に起きたことには、自分のフィルターを通して色眼鏡がかかった状態で頭の中にまたは心の中に入ってくる。

そんなときには一度落ち着いて事実と感情を分ける必要がある。事実にも前提というものがあるが、それも取っ払ってその時に起きたことだけを見る。

そう考えると、あるのは事象のみで、それに意味付けしているのは自分自身となる。

こう考えることができるようになり、人間関係も少しは楽になったと思う。

瞬間的に悲しい気持ちになることはあっても、その気持ちのままずっと切り替えられないことはなくなった。

マイナスな感情が続くときは一度立ち止まって、何が私をその感情にさせるのか考える。

例えば理不尽に怒鳴られたことでその瞬間にはびびりや恐れ、そのあとに怒りの感情が湧いてきたとする。

理不尽というところには前提の条件や私の感情が含まれているから現実には、相手が大きな声を出していた、ということだけが残る。

それだけを考えてみると、スポーツ観戦の応援やライブの声援などと変わらないことだという解釈ができる。

すると自然とマイナスな感情は落ち着いていく。

理不尽な、ということは、私の勝手な解釈によるものだ。

相手からすれば納得できないことがあったのかもしれない。

ここで怒鳴らないと、家族が人質に取られて殺されてしまうのかもしれない。

相手の都合はわからない。

だからといって、理不尽をすべて受け止めろということではない。

私のマイナスな感情がこのまま続いたとしても私のためにならないし誰のためにもならないので、こういった考えをすることでマイナスからニュートラルにもってくることができる。

相手を許すことは自分のためになる。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です