変化


誰しも自分の周りの人間に影響されている。人間だけではなく、環境も影響する。

ただ、全く同じ経験をしたとしても受け取り手が変わると人の数ほどの解釈が存在する。

自分を変えようと思ったときに、2通りの手段がある。

ひとつは付き合う人、環境を変えること。

そしてもうひとつは、自分の解釈を変えること。

実現しやすいのは前者で、後者が達成されればそれはもう自分が変わったことと同義となる。

例えば運がいい人は、自分で運がいいと思っている。

どんな出来事も、ある人は運が悪いと評価するし、またある人は運がいいと評価する。

ここで使えるのは、事実と評価を分離することである。

例えば事故を起こして怪我をし、1か月仕事ができなかったとしよう。

あなたならどう考えるか。

体も動かせず、仕事ができず収入が減った、運が悪いと考えることもできれば、

死ななかった、運がいいと考えることもできる。

今回は運がいい運が悪いということを例に挙げたが、つまり私が言いたいのは究極的には今この瞬間から自分の理想の自分になれるということである。

こういうと、資産1億円を持った自分に、今、この瞬間になれないじゃないか。という反論も聞こえてきそうだが、

私の理論で実現できるのは、資産1億円を持つのに相応しい自分に今、この瞬間になれるということだ。その反論がでる時点で実現できないのは明白だ。

また、私としては、物質的なことよりも自分自身の成長を楽しんだほうが人生楽しめると思っている。

ゲームでも最初からすべてのパラメータがカンストしているよりも、ひとつずつ成長して自分の好きなパラメータを上げていくほうが楽しい。

人生は生まれてから死んでいくまでの暇つぶしに過ぎないのだから、その道筋を楽しんだほうが得である。

もちろんこれは私の考えなだけあって、最初からカンストを望む人はそれでもいい。

そして私が望むことは、私の実践しているようにあなたの生きた道筋を、その葛藤を残していてほしいということ。

誰の人生も素晴らしいものだから、立ち止まっているときも前だけ見て進んでいるときもいつの間にか後退しているときもそのすべてが素晴らしい。

私も自分を変化させようと日々もがいている。

私は文章で表現するということを選んだ。

選んだ道に正解も不正解もない。

ただ、自分の選んだ道に自分で責任をもって振り返ってそれが正解だったと笑えるように、ただただ進んでいくだけである。

”選ばない”という選択もあるから、どのみちすべてが私の道でありあなたの道です。

絶対正解なら、あなたはどんな道を選びますか?


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