今日家に帰ってからテレビをつけてモニタリングをみていた。
歌で人を感動させている映像をみた。
中には涙を流す人もいた。
人を感動させることができる力はすばらしい。
私にもそんな力をつけることはできるのだろうか。
歌で人を感動させることはもしかしたら難しいかもしれない。
ほかの例えば文章を書くことで読んだ人に感動を与えられるようになれるのだろうか。
歌よりも可能性があると思ってしまう自分はきっと楽観主義なのかもしれないが、そんな希望もあっていいと思う。
創造性は誰のもとにもあって、それを表現できるかどうかは訓練しだい。
表現にもいろいろ種類がある。
五感で人に伝えることができる。
視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚。
ほかにも伝える手段はあるのかもしれない。
文章で人に伝えることには、視覚だけでなくほかの感覚も刺激することができる。
動画のいいところは、受け取り側が完全に受動的であっても伝えることができるということ。
文章を読むには、受け取り側に少なからず負担を強いている。
昔、音楽を趣味でしていたこともあったが、いつからかあまりプレイヤーとしては活動しなくなった。
音楽を聴くことは今でも好きだ。
大人になるにつれ、新しい音楽に触れる機会も意欲も減っているとは思う。
好きになったら同じ曲を何度も何度も聴くような向き合い方をしているが、今もそれは変わっていない。
芸術でおなかはいっぱいにならないけれど、心は満たされる。
日本という国では、おおよそ餓死で死んでしまうことはない。物質的には満たされていると思う。
これからは心を満たしていく段階だ。
それなのに物質的な豊かさを追い求めて、心が荒んでいってしまう。
私も弱い人間で、愚痴を吐いてしまうこともある。
私はすっきりするが、聞き役になってくれた人は楽しい気分ではなかっただろう。
負のエネルギーの受け取り皿になってくれてとても感謝している。
そのおかげで気持ち新たに仕事に向き合うことができている。
私は人に感動を与えたい。
生きた証を残したい。
私がいるだけで気持ちが明るくなったり、プラスのエネルギーを与えられるような人間でいたい。
もっともっとどう生きたいか考えよう。