筆者は特に若者という年齢ではないが、ありがたいことに(?)実際の年齢からは若く見られることが多い。なにか至らぬ点があったとしても大抵は大目に見てもらえる。このことから学ぶに、若いうちはいくらでも失敗することができるということ。失敗から学ぶことは多い。しかし成功から学ぶことはあまりに少ない。
「失敗することは恥ずかしいことである。」そんなことはない、と頭では思いつつも、心の底では失敗を恐れている自分がいる。誰しもが弱い人間である。本を読んで、こう考えたらいいとか、論理的にこうだから、結果的にこう考える、ないしは行動するという説明が、腑に落ちたとしてもそのように考えられなかったり行動することができなかったりする。そんな自分に嫌気がさす。でも本にはありのままの自分を受け入れなさいと書いてある。
そして私は今日もまた本を読む。
100冊の本を読んでひとつも行動しないより、1冊の本を読んでひとつ行動するほうが人生が前に進むのだろうか。たとえそうだったとしても、100冊の本を読むあなたもひとつ行動するあなたも1冊の本を読むあなたもひとつも行動しないあなたも、すべて受け入れたいと思う。
なぜか不思議に思うことがある。
何の縁もゆかりもない人に対して気をつかって優しくするのに、身近であればあるほど気もつかわずぞんざいに扱ってしまうのだろうか。大切な人は大切にできるようにしたいものである。
他人に興味がないのだろうか、話がどうも続かない。飲み会の場で、職場で、カフェで、話が尽きない人たちをみると思わず尊敬してしまう。どうしてそんなに次から次へと会話が続いていくのだろうか。どうしてそんなに興味深々に話がきけるのだろうか。私は特に自分のことを話すことが好きではないため、聞き上手になりたいという願望がある。あなたにはなぜだかこんなに話してしまう、そんなひとことが聞きたいものである。
聞き上手になるためには、直しておかないといけない私の気質がある。正論を述べてしまうことだ。もしくは、不要なアドバイスをしてしまうことだ。ここは直したい部分である。正論は刃である。簡単に人を傷つけてしまう。そして正論は人を救わない。なぜなら誰しも正論はわかっているから。正しい道はわかっているけど、どう進んでいけばいいかわかっているけど、思った通りに行動できない。それが人間であり、それが人間の弱さであり、また、魅力でもある。
完璧な人間よりも弱い人間のほうが魅力的だと、私は思う。
行動できない自分を愛そう。行動しようとする自分を愛そう。行動できなくて嫌になる自分を愛そう。明日からやろうと眠る自分を愛そう。いつ始めたって構わない。なぜなら今この瞬間がこれからの人生の中で一番若い瞬間だから。明日決心したっていい。1年後、5年後、10年後決心したっていい。決心した今、この瞬間が、その時がこれからの人生で一番若いときだから。死ぬ時まで行動できなくて後悔したっていい。行動しないという決断を死ぬまで続けられたのだから。あなたは今のままで十分すばらしい。
私も今のままで十分すばらしい。